犀ヶ崖
元亀3年(1572)12月22日、徳川家康と武田信玄が三方ヶ原で戦った。徳川家康はこの戦いに負け、浜松城に逃げ帰った。その夜、徳川方が犀ヶ崖付近夜営していた武田方を急襲し、地理に暗い武田方をこの崖に追い落とした。武田方はここで多くの人馬を失ったと伝えられている。
で、無念の武田兵が化けて出てきて、「遠州大念仏」が始まった、ということだそうです。
すみません。大分説明をはしょりました。
軽便鉄道”奥山線”跡をたどりながらの寄り道です。
以前から興味のあった「犀ヶ崖」。
理由その一 : ヤマモモの大木がある。
理由その二 : 急な崖。
理由その三 : ネズミ小僧二郎吉の墓がある。
なんか、どうでもいいような理由ですが・・・・・
で、まずはヤマモモの大木
巨木というには少し小さいのですが、普段目にするヤマモモはかなり細いものばかりですので、コレだけの大きさ、太さは珍しいです。根に近いところに穴が開いていましたが、なぜかそこに竹の棒が入れてありました。
資料館の横に「ネズミ小僧次郎吉」の墓があります。
何も根拠が無いらしいですが・・・・・
で、急な崖。
これだけ街中で、急な崖ってのも珍しいんじゃないかな、と思います。武田軍が落とされた当時は、深さ40mほど有ったらしいのですが、現在では13m。それでもかなり深く感じます。
崖の下には遊歩道。降りてみようかとも思いましたが、あまり恨みが残るようなトコに行くのもちょっと・・・
でも、狭いながらも色々見所のある史跡です。きちんと調べたら、けっこう面白いかも!
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