2012年07月23日
筏問屋 田代家
国道152号線を北上し、天竜川にかかる鹿島橋を渡ったところに、いつも気になっていた看板「筏問屋 田代家」。
なにか有名な家らしいが、また今度来よう、といつも素通りしてましが、今回、iphonアプリの「すごめぐり」のポイントの一つとして出ていましたので、ちょうど良い機会と早速足を運んできました。
田代家とは、江戸時代に筏問屋を営んでいた歴史のある旧家です。

@エスの記事より
「田代家は江戸時代に代々嘉平治(次)を名乗り、北鹿嶋村の名主を勤めるとともに天竜川筏問屋を営んでいた旧家です。また鹿島拾分一番所の仕事に携わったこともあり、鹿島渡船場の番頭頭も勤めました。天正8年(1580年)田代家中興の祖といわれる孫丞の時、徳川家康に協力した功により天竜川の筏川下げ等の御朱印を賜りました。10代の嘉平治は学問に優れ、初代の二俣町長(明治22年)に選ばれ、11代の田代英作は二代二俣町長に就任しています。田代家の屋敷は風格のある面影を今に伝えています。」
http://www.fujinokunibunkashigen.net/resouce/main.php?search=area&mode=detail&article=1668
そういえば、以前歴史の勉強をしていたとき、天竜川を使った木材の輸送は、上流にて伐採された木材は二俣の辺りで集積され筏に組みなおされ、そうして下流の街に送られたと何かの本で読んだ覚えがあります。
上流から集められた木材を一手に引き受ける問屋は、もう儲かって儲かって・・・・、みたいな話も読んだような読まなかったような・・・・

とても大きく立派な家です。
さすが地元の名士です。
家を形作る材料の一つ一つがとても贅沢で、今ではとても手に入らないものばかり。
ちょっと圧倒されながら見学していましたが、この家を管理しているボランティアの地元のおばちゃん方に呼び止められました。
「おにいちゃん、お茶を入れたからこっちで座って飲みなさい。」
ありがたいです

「おにいちゃん、どっからきたの?」
海の方です。
「へぇー、遠いところから来たんだねぇ。ゆっくり見て行ってね。」
川を渡ってきた風を感じながら、ゆっくりとおばちゃん達と話しに花を咲かせました。
ゆっくりと時間が流れていきました。
なにか有名な家らしいが、また今度来よう、といつも素通りしてましが、今回、iphonアプリの「すごめぐり」のポイントの一つとして出ていましたので、ちょうど良い機会と早速足を運んできました。
田代家とは、江戸時代に筏問屋を営んでいた歴史のある旧家です。

@エスの記事より
「田代家は江戸時代に代々嘉平治(次)を名乗り、北鹿嶋村の名主を勤めるとともに天竜川筏問屋を営んでいた旧家です。また鹿島拾分一番所の仕事に携わったこともあり、鹿島渡船場の番頭頭も勤めました。天正8年(1580年)田代家中興の祖といわれる孫丞の時、徳川家康に協力した功により天竜川の筏川下げ等の御朱印を賜りました。10代の嘉平治は学問に優れ、初代の二俣町長(明治22年)に選ばれ、11代の田代英作は二代二俣町長に就任しています。田代家の屋敷は風格のある面影を今に伝えています。」
http://www.fujinokunibunkashigen.net/resouce/main.php?search=area&mode=detail&article=1668
そういえば、以前歴史の勉強をしていたとき、天竜川を使った木材の輸送は、上流にて伐採された木材は二俣の辺りで集積され筏に組みなおされ、そうして下流の街に送られたと何かの本で読んだ覚えがあります。
上流から集められた木材を一手に引き受ける問屋は、もう儲かって儲かって・・・・、みたいな話も読んだような読まなかったような・・・・



とても大きく立派な家です。
さすが地元の名士です。
家を形作る材料の一つ一つがとても贅沢で、今ではとても手に入らないものばかり。
ちょっと圧倒されながら見学していましたが、この家を管理しているボランティアの地元のおばちゃん方に呼び止められました。
「おにいちゃん、お茶を入れたからこっちで座って飲みなさい。」
ありがたいです


「おにいちゃん、どっからきたの?」
海の方です。
「へぇー、遠いところから来たんだねぇ。ゆっくり見て行ってね。」
川を渡ってきた風を感じながら、ゆっくりとおばちゃん達と話しに花を咲かせました。
ゆっくりと時間が流れていきました。
Posted by いっしぃ at 23:59│Comments(0)
│寺社・史跡