2008年04月14日
両界山 横蔵寺
大好きな仏像の一つ深沙大将像に会いたくて、薄墨桜を見た後揖斐川町の「両界山 横蔵寺」にバイクを走らせました。
深沙大将とは西遊記に出てくる”沙悟浄”のことです。が、河童ではなく腹に童子の顔を持つ、腕や足に蛇を巻きつけた姿をしています。紙は逆巻き、仁王様のように全身に力を込めたお姿なのですが、両目がどこかユーモラスな出目金のようなどんぐり眼。一目見たら忘れられないアンバランスさなのですが、どこか強く惹かれるところがあって、この仏像なら何時間でも見ていられます。
何かと足を運ぶ機会がなく、久々の横蔵寺です。このお寺には、ミイラ(即身仏)があることでも有名なのです。


山の中のお寺なのですが、一つ一つの造作がとても重厚で手が込んでいて、薄暗い木立と相まって圧倒されます。山門から本堂までお参りして、さて目的の”深沙大将像”と対面です。この像は、宝物殿に安置されているのです。

管理の人が呆れるくらい、たっぷりと見てきました。心が充足された感じです。
宝物殿の向かいに、ミイラ(即身仏)が安置されている舎利堂があります。宝物殿の片券で舎利堂も見られます。

自分の信仰のためではなく、他の人の為に厳しい修行のあげく入定するなんて、言葉では表せない尊敬の念が湧き上がります。まさしく仏の化身と言っても良いでしょう。だからこんな看板を見ると、がっくしきます。

即身仏とミイラは違うのですが、お寺さんが率先して「ミイラ」は無いんじゃないでしょうか。まぁ、何て呼ぼうと所有者の好きずきなのですが・・・。
お寺を後にして、ひたすら家へ。
やっとの昼ごはん。

深沙大将とは西遊記に出てくる”沙悟浄”のことです。が、河童ではなく腹に童子の顔を持つ、腕や足に蛇を巻きつけた姿をしています。紙は逆巻き、仁王様のように全身に力を込めたお姿なのですが、両目がどこかユーモラスな出目金のようなどんぐり眼。一目見たら忘れられないアンバランスさなのですが、どこか強く惹かれるところがあって、この仏像なら何時間でも見ていられます。
何かと足を運ぶ機会がなく、久々の横蔵寺です。このお寺には、ミイラ(即身仏)があることでも有名なのです。



山の中のお寺なのですが、一つ一つの造作がとても重厚で手が込んでいて、薄暗い木立と相まって圧倒されます。山門から本堂までお参りして、さて目的の”深沙大将像”と対面です。この像は、宝物殿に安置されているのです。


管理の人が呆れるくらい、たっぷりと見てきました。心が充足された感じです。
宝物殿の向かいに、ミイラ(即身仏)が安置されている舎利堂があります。宝物殿の片券で舎利堂も見られます。

自分の信仰のためではなく、他の人の為に厳しい修行のあげく入定するなんて、言葉では表せない尊敬の念が湧き上がります。まさしく仏の化身と言っても良いでしょう。だからこんな看板を見ると、がっくしきます。

即身仏とミイラは違うのですが、お寺さんが率先して「ミイラ」は無いんじゃないでしょうか。まぁ、何て呼ぼうと所有者の好きずきなのですが・・・。
お寺を後にして、ひたすら家へ。
やっとの昼ごはん。


Posted by いっしぃ at 22:40│Comments(0)
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